ありがとうの反対は、
あたりまえ。
そこにあるもの。
そこに居る人。
それはいつもあるけど、
いつも居るけど、
決してあたりまえではなく、
もしかしたら、次の瞬間には
なくなってしまうかもしれないもの。
ご飯が出来ててあたりまえ。
家があってあたりまえ。
子供が居て、親が居てあたりまえ。
あたりまえ過ぎて、いつもと同じようにならないことに、些細なことで腹を立てたり、思うように伝わらないことで、ムッとしたり…
話さなくてもわかるだなんて、嘘。
わかってるよね?じゃなく、
わかって欲しいじゃなく、自分から発信しないと、何も伝わらないし、会話にもならない。
甘えなのかな?
気を遣う人には決してそんな姿は見せない。
考えた。
本当のわたしってどんなだったろう…
よくよく考えたら、本当の自分は、両親が生きてた頃の自分。
あたりまえに長生きするだろうと思ってた両親はもう居ない…
両親がいなくなったと同時に、本当の自分ももう両親と共に天に召されたのと一緒。
本当の自分とさよならしてたことに、今更ながら気づく。
あたりまえって思っちゃいけない。
今居ることに感謝。
今あることに感謝。
今隣に居てくれることに感謝。
『ありがとう』
そう、
決して『あたりまえ』ではない。